立春をすぎ、寒さも少し和らぐ今日この頃。皆さんは、マイナス20度の体験をしたことがあるだろうか。
人里離れた岩手県北三陸には、マイナス20℃を下回る極寒のなかで1〜2週間かけて燻製を行う鮭の保存食がある。塩のみでじっくりと低温でいぶすことで、添加物を使わずとも保存性が高く、まるで鰹節のような深い風味の味わいを醸し出す。まさに究極のスローフードだ。
今回は、そんな冷燻づくりの継承に取り組む、株式会社アースカラー・藤﨑翔太郎さんより寄稿いただいた。
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県北三陸の沿岸部に、田野畑という小さな村がある。岩手の県庁所在地盛岡から車で2時間、公共交通機関なら3時間超は覚悟の、都市から隔絶された地域である。
村の海岸線は典型的な海岸段丘になっており、”海のアルプス”の異名を持つ北山崎と鵜の巣断崖を筆頭に、標高200mにも及ぶ直線的な断崖絶壁が聳え立つ。ここは、段丘に刻まれた深い谷間が古来より人々の往来を阻み続けたため、長く開発が進まなかったエリアでもある。
一昔前、田野畑へ赴任する役人や教師たちが、あまりの道の険しさに、進むか引き返すか思案したという話が残っている。この坂は「思案坂」と呼ばれていて、やっとの思いで通過した者も、その先に待ち構えるさらに大きく深い谷に、ついには職を投げ出して帰ってしまったという。この深い谷の名前は、「辞職坂」という。地名にまつわるこんな話が、今でも村民の間で語り継がれている。
↑田野畑村「鵜の巣断崖」。豪壮な海岸段丘と夏のやませによる海霧。
↑アースカラーの目指す地域像。
そんなアースカラーが「南部鮭加工研究会(以下:研究会)」という団体にであったのは、2021年夏のことだ。田野畑村にあるとあるレストランのオーナーシェフに、ひょんなことからご紹介頂いた。
南部鮭加工研究会は、鮭文化の保存と水産業の振興を目的に、鮭の冷燻をメインとした水産加工品を製造していた研究会だ。田野畑村から南に約40kmに位置する岩手県宮古市で活動されていた。
地元貢献一筋に活動を続けてきた研究会だったが、冷燻職人の病気やスタッフの高齢化、また水産資源の減少などの影響で、事業継続が困難になっていた。話を聞いているうちに、宮古地域の文化に対する敬意、そしてこだわり抜いて磨き上げた冷燻の技術をなんとか守りたいという想いがアースカラーメンバーにも伝播し、研究会の事業を継承することに決めた。
鮭の冷燻づくりの手順
鮭の冷燻とは何か。まずはその作り方を見ていこう。
まずは地元の水産会社で鮭を仕入れる。ただの鮭ではない。大きく鼻の曲がったオスのブナ鮭・南部鼻曲り鮭だ。
↑南部鮭を使用した新巻き鮭は、三陸地方の文化の一つ。一般的なトラウトサーモンと比べると、随分と顔つきが厳めしい。
ブナ鮭とは、海から産卵地に向けて川を遡上し始めた鮭のことだ。背中に浮かび上がる赤いライン模様がブナのように見えることからそう呼ばれる。脂肪が少なく淡白な味が特徴で、燻製や新巻きにするにはもってこいだ。
仕入れた鮭の頭とヒレを外し、はらわたを抜く。そして3枚におろす。
次に塩入れ。研究会でははじめに塩を塗りこんで寝かしていたが、アースカラーではフィレの状態で飽和塩水に漬け置きすることで、塩分が身に均等に入っていくように工夫を加えた。
↑塩入れの様子。見えているカマの部分は活用方法を模索中だ。
過酷な自然環境を逆手にとった、冷燻という技術
気温や鮭の状態を見ながら1~2日ほど漬けた後、海水に入れ替えてさらに1日程度塩分調整を行う。
こうして十分に塩が入った鮭を、燻製施設へ運ぶ。
ところで「冷燻」という言葉に聞きなじみがなかった方もいるかもしれない。一旦説明しておこう。
燻製は大きく分けて「熱燻(ねっくん)」「温燻(おんくん)」「冷燻(れいくん)」の3種類がある。 文字通り材料を燻す温度と時間によって分かれており、一般的に熱燻は80℃~140℃(10分~1時間)ほど、温燻は30~80℃(数時間~1日)ほど、冷燻は30℃以下(1日以上)で行われる。
研究会の鮭の冷燻は、一般的な冷燻づくりの温度を大きく下回る過酷な自然環境で作られる。
塩漬けされた鮭を積み、宮古市を流れる閉伊川(へいがわ)に沿って、その源流付近の地域まで車を走らせていく。閉伊川は、鮭が遡上していく川。命を頂戴した鮭を、今度は故郷の山へと運ぶのだ。目的地は、宮古市の中心部から70㎞ほど離れた区界高原(くざかいこうげん)。標高約700m、厳冬期には気温-20℃を下回ることもある、岩手県トップクラスの寒冷地である。
↑吹雪の区界高原。右手に見えるのが燻製施設。
この高原の極寒のなかで鮭を燻していく。
燻製室内に、鮭のフィレを吊るす。溝が彫られた床には、地元産のナラ、ケヤキ、クリなどを使用した広葉樹のチップを敷く。そこに着火剤として木片を置き、バーナーで着火する。
↑着火の様子。チップは着火点の真ん中から端に向かって、大体3~4日で燃え尽きる。
↑燻製室内で鮭が燻される様子。極寒のなかでの作業だ。
チップが燃え尽きないよう数日おきに補充し、鮭の状態を確認しながら、大体1~2週間ほどゆっくりじっくり燻し続ける。超低温で時間をかけて燻すことで、鮭本来の旨味がギュッと詰まった香り高い冷燻に仕上がっていく。
そうして燻し終わった鮭を燻製室から取り出し、シートでくるんで重石をする。ここからさらに熟成の時間だ。
↑テーブルにシートを広げ、水分が抜けて固くなった鮭を並べている。
2週間ほど経って落ち着いた燻の香りがするようになったら、いよいよ最終加工、製品の規格に合わせて鮭をカットしていく。カットの仕方によって、食感も味の感じ方も変わるのが面白い。削り器を使って、かつお節ならぬ鮭のけずり節も作ることも可能だ。
↑身の厚い部分を平たくカットした棒燻(写真左)は、生ハムのような食感。小枝(写真右)はおやつ感覚で。チップス(写真奥)は噛み応え十分、日本酒をはじめ、ワインやウイスキーとの相性も抜群だ。
現代の最もポピュラーな燻製法では、材料を高温・短時間で燻し、調味液(くん液)で味や香りを付ける。手軽に効率よく製品を作るためには、保存料や化学調味料などの添加物が欠かせないが、それでは素材本来の旨味や、燻煙材の木々の薫りを存分に味わうことはできない。
一方、ここまで読んでいただければ分かる通り、研究会の鮭の冷燻の原材料は鮭と塩のみ。製法もほとんど自然任せだ。
約13000年前、人類は氷河期の飢餓を耐え凌ぐため、食料を干して保存していた。そこに偶然焚き火の煙が当たった。そして、煙に燻された食料が長期間腐らないことに気がついた……燻製が生まれたきっかけとされている話である。
人類がサバイバルのなかで得た知恵を用いて、北三陸という地域の風土を最大限に活かし、地元の新しい名産と成り得る美味しい一品を作り上げる……なかなか愉しく美しい営みではないだろうか。
↑北三陸で行われる定置網漁、明け方のワンシーン。冷燻づくりはなんと言っても漁労から始まる。
商品化への道のり
こうして新しい体制で冷燻づくりを続けているアースカラーではあるが、実は現時点、まだ製品の販売までこぎつけることができていない。理由は大きく2つ。鮭の漁獲量の急激な減少と、HACCPによる衛生管理の義務化だ。
北三陸の漁師さんに話を聞くと、ここ数年は毎年前年の半分以下になるようなペースで鮭が獲れなくなっていると言う。南三陸地方でも、秋サケの漁獲量がピーク時の1%まで落ち込んだというニュースが出ていた。
これを受けてアースカラーでは、南部鮭のみならず、岩手三陸地域の農水産物の冷燻づくりも視野に入れて、事業継続を試みている。そうすることで、研究会の残した鮭の冷燻も持続可能な形で販売していけるよう、体制・環境を整えていく方針だ。
現在も、鯖・鱈・貝などの魚介類に加え、野菜類、味噌・醤油などの調味料を原材料に試作を続けている。
↑試作で仕入れた鯖。南部鮭と違って脂分が多く、冷燻にするにはさらなる工夫が求められる。
またHACCPによる衛生管理の義務化に伴い、これまで研究会が所有していた設備だけでは、そもそも販売許可がとれない状況になっている。最終加工や梱包などを行う水産加工施設を作る必要があるのだが、アースカラーではそれを自前で田野畑村内に作ることを目指している。東日本大震災の際、かろうじて流されずにすんだ海辺の古民家にアースカラーメンバーが居住しており、そこに付いている倉庫が現状の候補地だ。
まずはどうしても資金が必要になる。そのための1つの施策として、CAMPFIREでのクラウドファンディングも企画中だ。
チャレンジが成功し、販売を開始することができた暁には、ぜひ皆さんにもこの冷燻の味を楽しんでみていただきたい。
◉寄稿者プロフィール
高浜大介
一般社団法人燈 代表理事/株式会社アースカラー 代表取締役社長/NPO法人地球のしごと大學 理事長。1979年生。東京都墨田区出身。岩手県田野畑村在住。立教大学観光学部卒。大手国際物流企業、人事・教育ベンチャー企業勤務後、2010年に、地球・大地に根ざした職業人「アースカラー」の育成・輩出を手掛ける株式会社アースカラーを設立。また千葉県佐倉市にて、約1ヘクタールの田畑で無農薬・無化学肥料のお米作りや大豆作り、農業体験などを主とする教育農場も展開(2020年から地球のしごと大學卒業生へ委譲)。
2018年12月に地球のしごと大學をアースカラーから独立させ、NPO法人地球のしごと大學設立。同時に岩手県田野畑村へ家族で移住。田野畑村と高浜大介の2者にてむらづくり合弁会社、一般社団法人燈(ともしび)を創業。都心からの移住希望者の受け皿を作り、地域と協調してサステナブルな地域社会経済のモデル創りを過疎地から挑戦中。二女の父。
藤﨑翔太郎
一般社団法人燈 事業推進マネージャー/株式会社アースカラー 事業推進担当。1994年生。広島県東広島市出身。岩手県田野畑村在住。大学卒業後、東京都内の人材会社にてクリエイティブ領域の転職エージェント・人材派遣営業、またSaaS系企業にて西日本地域のフィールドセールスを担当。2017年より、上記企業に勤める傍ら、アースカラーを運営母体とする社会人講座地球のしごと大學に参加。2021年から一般社団法人燈に参画、同時に田野畑村へ移住。海辺の古民家に居住するアースカラーメンバーである。