日本の原風景がいまだに色濃く残る山里・京都府南丹市美山町に、田歌舎という場所がある。農業・狩猟・採集・牧畜・建築などの自給的な暮らしを発信する場所で、HPには「宿泊・レストラン・アウトドア・自然体験」をしている”小さなお店”だとある。実際に足を運んでみると、お店というより、新たなライフスタイルを提案するひとつの”村”のような印象がある。
京都市内から車で1時間半ほど。12000平方米(1.2ha)ほどの敷地内に、母屋、宿泊施設数軒、レストラン、ショップなど、10棟以上のセルフビルドの建物が混在する。田畑はもちろん、鴨の飼育所、食糧庫、解体所などもある。周囲を囲むのは、壮大な山々だ。自給自足的な営みに興味のある訪問者を、年間を通して受け入れている。
”ジビエ体験をしてみたい”
そう思い立ったのは、去年の夏頃だっただろうか。いくつか体験コースや実践者を探してみて知ったのは、狩猟は通常、秋から冬にかけて行われるということだ。狩猟は期間が限られており、毎年11月15日~2月15日がジビエの季節と定められているという。冬に向けて動物が脂肪と栄養を蓄えるから肉が美味しいし、冬の方が鮮度を確保できる。鳥獣の保護など、色々と理由があるようだが、何はともあれ、ジビエ体験をするのに11月まで待ち、ようやく参加することができた。
参加したのは、田歌舎の1泊2日の狩猟・解体ミックスツアーだ。午前中に鹿の解体を体験し、午後から山の中に入り、数名の猟師たちについて狩猟の現場を見学できる。
田歌舎の食料自給率は、9割以上だという。通年お米や野菜は買わず、約1.5haの田畑で育て、肉は猟で得た鹿や猪、育てた鴨をいただく。春は野草に山菜、秋はキノコが採れる。冬の暖房となる薪は自給し、40箇所以上ある蛇口から出る水は、100%天然の飲める湧き水だ。
狩猟について、田歌舎について、もう少し話を聞いてみたい。ツアーガイドを担当してくれた大介さんに、後日、改めて話を聞いてみた。
田歌舎の全体図
自分で自分の食料を獲得できないのは人間だけ
田歌舎に暮らす大介さんは、1991年、埼玉県生まれ。新宿から電車で30分ほどにある住宅地で育ったという。美山に移住してから、今年の3月でまる6年だ。
大学時代、国際協力系のNPOでインターンをし、資金調達の難しさを目の当たりにしたことから、卒業後、まだ設立したばかりのクラウドファンディング・READYFORに入社。2年ほど、東京での仕事を楽しんだという。
「立ち上げのベンチャーだったのでむちゃくちゃ働いていていました。日曜日に出勤し、土曜日に帰宅する、ほぼ1週間会社で寝泊りしているような、そんな日々でしたね」と大介さんは当時を振り返る。「20代前半の体力に任せて働いていましたが、そのうち身体がしんどくなってきて。ふと、1日中デスクワークって、生き物としておかしいぞ、と思い始めたんです。一見当たり前のように見えて、これまでの人類の生き方から考えると、異常な状態な気がしてきて。」
これからしたい暮らしを考えるなかで、田舎への移住を意識しはじめた。特に、狩猟について興味を持った。「動物のなかで、自分で自分の食料を獲得できないのは、人間と、人間が飼っているペットだけ。自分の食べ物を自分で獲ったり食べたりしたいという想いが田舎暮らしへの憧れにつながり、移住先を探しはじめました。」
2泊3日、泊まりがけで見学に行った田歌舎への移住を決意し、次の日には東京で、移住の意思を会社に伝えた。
自分の暮らしを自分でつくる
田歌舎の魅力を、「自分の暮らしを自分で作れること」と大介さんは話す。「ここでは、野菜やお肉といった食べ物も、建物、製材、エネルギー、水も、自分たちでまかなっています。他にも田舎の移住先をいくつか探したのですが、住むもの、食べるもののライフライン全てを自分たちで作っているのは、他にはないですね。農業だけや狩猟だけのところはありますが、全部をこの規模で行い、事業として成り立たせているのは僕の知る限り田歌舎だけです。」
ただそれは、昔の人が当たり前のようにしていた暮らしだと、大介さんは話す。「地元のおじいちゃんおばちゃんから技術を学ぶことも多いです。都会からきた若者よりも、ここのおじいちゃんおばあちゃんの方が、作業が早いですよ。」在来工法の建築や狩猟のノウハウ、農法も、昔ながらの技術を引き継いで行っている。
農業も、季節に合わせて多種多品目。季節毎、仕事の種類が非常に豊富で面白い。まさに、現代版の百姓だ。
田歌舎の年間カレンダー
「古いものが一番新しいな、とここに来て思います。今では再現できない素晴らしい技術が過去にはあった。現代の、都会での便利な生活について否定はしません。好みがありますから。ただ、火を起こす技、薪をわる技など、便利になりすぎてしまったがゆえに、失われた技術が多いと思うんです。」
冬の狩猟、解体
田歌舎では、複数のスタッフが狩猟者(ハンター)、また有害鳥獣捕獲員として、通年、鹿の狩猟を行っている。もちろん、獲物をとった後に解体するまで行う。
「田歌舎では、狩猟で獲物をとるところから、解体(皮足、後ろ足、前足)、骨抜き、部位分け、筋分け、汚れの除去、真空パック・冷凍し、出荷するまでの全てのプロセスを内部で行います」と、狩猟・体験コースの当日、大介さんが説明してくれた。
獲物の99%は鹿だ。
「田歌舎周辺では20年ほど前から鹿が爆発的に増加しました。もともと繁殖力の強い鹿は現在も全国的にも増えて続けていて、その理由として天敵だった狼の絶滅や降雪量の減少、狩猟者の減少など様々な要因が存在します。私達の猟場では鹿が増えすぎて山の食べ物がなくなったことで、以前と比べ生息数が減少傾向にあります。しかし、鹿による獣害は深刻な問題です。」
午前中の解体体験では、1頭の鹿を丸々、ナイフで解体する。水に浸かった鹿の死体をみた瞬間、一瞬どきりとしたけれど、ナイフで足に切り込みを入れ皮を剥ぎ始めてからは、思ったよりも抵抗感はなかった。ただ、命を頂いている、という生々しさは感じた。普段、綺麗にパックされた状態でスーパーで売られているお肉からは感じられないリアリティがある。
体験中、鹿が目の前で撃たれる瞬間も見た。
猟師は、鹿が獲れるまで、ギリギリの時間まで粘る。待機場所も解散時間も日によって違うし、獲れない日もある。急な斜面を数時間も上り下りすることもある。狩猟に興味のある人は、京都で罠猟をする千松信也さんの映画『僕は猟師になった』と本『ぼくは猟師になった』が導入としてもおすすめだ。
放置しても自然は元どおりにはならない
最近ではSDGsやサステナビリティ意識の普及も手伝い、無印良品などのビックネームも含め、ジビエを扱うお店が増えてきた。一方で、狩猟に対する批判的な声もいまだに多い。そうした批判に対し、「動物を殺すことそのものが良くない、というのは違うと」と大介さんは話す。「今ある自然をそのまま、手付かずの状態にすることが良いことではないと私は思います。そもそも日本には全て人間の手が入っているので、手付かずの森や山なんてもはやありません。これをそのまま放置したところで、生態系は都合よく元どおりにはなりません」
鹿という1種類の動物が増えるだけで、山の植生は大きく変わる。
鹿が草や樹皮を食い荒らし、林床植物は消え、木は枯れていく。そうすると土砂が流れ、川の淵は埋まり、魚の生息環境が悪化し魚も減る。「人間の活動の結果バランスが崩れてしまった個体数の調整をしなければ、手をつけない方が自然破壊の継続に繋がります。実際、毎日山に入っているからこそ、この変化は日々実感します。」
「田歌舎がそもそも目指しているのは、自然とともに生きる知恵と技を次世代に繋げること。昔は自然と本当に結びついた生活をしていましたが、今では便利さと引き換えに人間はその知恵と技を失ってしました。」
今、自然のなかで暮らす実践者として、森に、山に生かされている、自然に生かされている感覚を日々味わっていると大介さんは話す。私自身、2日間美山の環境にどっぷり浸かっただけで、この「自然に生かされている感覚」を少しでも感じることができた。自らの食べ物を、肉であれ魚であれ野菜であれ、実感を持って手に入れ、頂くこと。ぜひこの感覚を、多くの人に味わってみて欲しい。
田歌舎HP: https://tautasya.jp/
◉プロフィール
高橋大介
1991年生まれ。埼玉県さいたま市出身。2015年にIT企業を脱サラし京都美山町へ移住。現在は京都美山町のレストラン・宿泊・アウトドア/自然体験のお店「田歌舎」のスタッフとして働く。約1.5ヘクタールの田畑での農業や近隣の山々での狩猟、採集、牧畜、建築、林業などの自給的な営みと共に、ラフティングや沢登りといったガイド業等に携わる。